羽田沖墜落事故原因は逆噴射で片桐機長は不起訴!その後や現在は【ワールド極限ミステリー】

2019年11月27日に放送される「ワールド極限ミステリー」で、「羽田沖航空機墜落事故」について特集されます。

羽田沖航空機墜落事故は1982年2月6日に起きた死傷者173名を出す大惨事の事故であったようです。

航空機は羽田空港の手前で突如落下して、羽田空港沖に着水したようです。

着陸直前に一体何があったのでしょう。

この記事では
「1982年に起きた羽田沖航空機墜落事故の詳細など(ワールド極限ミステリー)」
「片桐機長の操縦ミス(逆噴射)や精神疾患とその後や現在は」

「地元の漁師に救われた青年は朱雀公道さん?」
について紹介しています。

【ワールド極限ミステリー】羽田沖航空機墜落(日本航空350便墜落事故)!

「羽田沖航空機墜落事故」は1982年2月9日の早朝、日本航空の福岡発東京行の350便が着陸直前に羽田空港沖に墜落した事故です。

航空機には乗員・乗客合わせて174名が乗っており、事故で乗客24人が亡くなり149人の負傷者を出す大惨事となりました。

墜落の原因は機長の操縦ミスと精神疾患(後に総合失調症と判明)によるものだったようです。

そして、航空機が羽田空港沖に墜落した直後の様子がこちらです。

(画像引用:https://matome.naver.jp/odai/2143247270290107201)

飛行機は真っ二つに折れまがり、機体の前方が後方にのめりこんでいたため輪切りされた状態になったようです。

幸いにも墜落した場所が浅瀬だったため、飛行機は沈まなかったようです。

亡くなった方の多くは水中で発見されており、その理由として座席に挟まれ重傷のため身動きができず

また、この日はホテルニュージャパン火災の翌日で東京消防庁は対応に追われていたようです。

その中で特別救助隊や水難救助隊、消防艇を出して救助活動にあたったようです。

 

墜落の原因は片桐清二機長の逆噴射による操縦ミス

(画像引用:https://kknews.cc/history/ez5nzrn.html)

350便の機長を担当していたのは片桐清二。

片桐清二機長は、羽田空港の着陸直前で自動操縦から手動操作に切り替えます。

そして全エンジンの出力を最低にした上で、さらに機体のスピードを落とすためエンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させます。

逆噴射させた理由として、片桐清二機長の耳に「死ね、死ね!」という言葉が突然響き渡ったといわれています。

片桐清二機長は命令通り手動操作に切り替え、操縦桿を押してエンジンを逆噴射させたのです。

とっさに副操縦士は操縦桿を引き起こそうとしますが、片桐清二機長の押し込む力が強かったため、副操縦士は引き起こすことが出来なかったようです。

そのまま、350便は東京湾に墜落します。

また、墜落直前には副操縦士が「キャプテン、やめてください!」と叫ぶ生々しい記録が残っていたみたいです。

 

片桐清二機長6年前から精神疾患を患っていた

また、片桐清二機長は精神疾患を患っていたようです。

片桐清二機長は事故が起こる6年前に初めて幻覚を見るなど症状を発症します。

それ以後、初期の精神分裂病、うつ状態、心身症などと診断をうけ、聖マリアンナ医大病院の医師に治療を受けたようですが、改善はされなかったみたいです。

事故直前には「ソ連が日本を破壊させるために戦闘を仕掛けて来る」など不可解な発言があったようです。

さらに、事故の前日にも事故起こした同じ便を担当しており、異常な操縦をしていたことを副操縦士から指摘されたようです。

このような不可解な言動や行動があったにもかかわらず、副操縦士は会社にその事を報告しなかったようです。

理由は「日本航空において機長は管理職であり、副操縦士は評価をされる側であり言いにくかった」と推測されているようです。

 

墜落後には救出活動を放棄して救命ボートに

航空法では機長は事故発生時に乗客の救助を率先して行う必要があります。

しかし、片桐清二機長は墜落後救出活動をすることなく、会社員と偽っていち早く救命ボートに乗って現場を去っていたのです。

当時、テレビなどでは機長の姿は見当たらないことから死亡説も出ていたようです。

実際は、ホテルに搬送されて後に病院で治療を受けていたことが判明します。

片桐清二機長はカーディガンを羽織っており、それが胸の機長マークを隠していたため、誰も機長に気付かなかったようです。

 

【ワールド極限ミステリー】片桐清二機長の現在やその後は

その後、片桐清二機長は業務上過失致死罪により逮捕されます。

しかし、精神鑑定により妄想性精神分裂病と診断され心神喪失の状態にあったとして不起訴処分となります。

片桐清二は当初「心身症」と診断されていましたが後に「総合失調症」であったことも判明。

聖マリアンナ医大病院の医師は事故直後、マスコミに頻繁に出演していたようですが、誤診が判明するとマスコミを嫌煙するようになり姿を消していきました。

この内容が報道されると、世間からは日本航空の姿勢が安全軽視として厳しく批判されたようです。

その後、東京にある都立松沢病院に入院して約1年後に日本航空を解雇されています。

片桐清二は事故を起こしたにもかかわらず退職金は出たみたいです。

退院後は、退職金などを元に神奈川県にある葉山の自宅で悠々自適の生活を送っていたようです。

また2002年の週刊文春によると、自動車の免許を再取得してたまに出掛けたりしていたが、ほとんど家から出なかったようです。

唯一の趣味だった釣りさえも行かず、妻がパートの仕事をして、たまに2人でコンサートに出掛けたりしていたと報じされたようです。

 

地元の漁師に救われた青年は朱雀公道さん?

そして、今回の予告動画では飛行機から海に投げ出された青年が漁師に救われたと流れていました。

救われた青年はおそらくですが
朱雀公道さん
という方ではないかと思われます。

というのも、朱雀公道さんが自身のTwitterで地元の漁師の方に救われたことをツイートされていました。

朱雀公道さんは地元の漁師である村石久徳さんによって救出されたようです。

村石久徳さんは朱雀公道さん以外にも多くの人物を救出。

最終的には事故現場と病院を6往復したようです。

村石久徳さん以外にも、漁業関係者114人が救出作業に加わるなど、この事件は漁師によって多くの命が救われるたと言っても過言ではないかもしれません。

また、朱雀公道さんは現在福岡県太宰府市で「朱雀内科クリニック」を開設されているようです。

肝臓病や消化器病を中心に内科全般を診療されているそうです。

救われた体験が医師を目指すきっかけになったのかもしれませんね。

 

最後の生存者の救出劇は町医者の高橋康之さん

また、機内に残っていた最後の生存者についても奇跡的な救出劇があったようです。

救出作業が開始されてから1時間後、機内の生存者は残り1人だったようです。

その生存者は天井が体にくいこんで身動きできず、容易には助け出せなかったようです。

そして、消防本部の指令で、最後の生存者の救出にあったのが医師の高橋康之さんです。

羽田空港に近い蒲田で今も開業している高橋康之さん。

この時、高橋さんは言い知れぬ運命を感じたと言います。

実は、高橋康之さんの父親も同じような経験の持ち主だったのです。

1966年、羽田空港で起きた飛行機事故。

駆けつけたにも関わらず現場への立ち入りさえも許されず乗員乗客64人が亡くなりました。

「俺は誰一人救えなかった」と苦しむ父の姿が高橋康之さんの目には焼き付いたようです。

現場にのぞんだ高橋康之さんは、生存者の状況に絶句しました。

腹部にはまるで突き刺さるような天井。

背骨まで達しているかのように見えたと言います。

腹部のすぐ脇には鋭く千切れた切断面。

丸みのある側面が食い込んだのが不幸中の幸いでした。

強い圧力が、返って内臓の出血を止めているとすれば救えると高橋康之さんは考えました。

しかし、金属を切断するカッターを使うと爆発の危険がありました。

消防隊員は火花が出ないノコギリで切断を試みました。

しかし、全く歯が立ちませんでした。

そこで、高橋医師は椅子をくみ上げているボルトを外そうと考えました。

わずかな隙間から女性を救い出す作戦でした。

無事に救い出された女性は、病院に運ばれ一命を取り留めました。

それは墜落から3時間半、奇跡救出劇だったようです。

 

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